「フォトコンテスト・写真賞」

自分が雑誌書籍の仕事をメインにやっている頃、「フォトコンテスト・写真賞」で日本を代表する賞のひとつが「太陽賞」でした。写真の芥川賞と言われていました。

その太陽賞のネーミングの元になった月刊太陽の仕事、それも、月刊「太陽」が休刊になる最後の3年ほど、年に3度ほど、特集を担当していました。最後の号も撮影しました。そして、ロケ地から帰京する直前に休刊を知らされたという忘れることのできない経験があります。

その太陽賞ですが、年に一度、版元の平凡社主催のパーティーがあって、そこで授賞式が行われていました。私も毎年、招待していただき、編集長や、日本を代表するエディトリアル系の写真家と話をするのが楽しみになっていました。

そのパーティーの席で、最後の編集長だったSさんから、

「昔は、写真賞を受賞すると、それが仕事に直結していたが、現在(当時1997年頃)では、写真賞の受賞と仕事は全く関係なく考えています。受賞したからと言って仕事は出しません。ただ、ご祝儀として一本くらいは出します」。

という話を聞かされました。

どういうことかと言うと、

「写真賞を受賞するような、作家一筋でやってきた写真家は、自分の撮る分野以外、特に、あれこれと編集者の要求の厳しい雑誌の仕事は撮れない」。という解釈でした。

じゃあ、どういう写真家に仕事を出すのか?と言うと、

「作品主義、実力主義で、いろんな仕事をこなしてきた経験のある叩き上げだと安心して仕事が出せる」。

ということでした。

写真賞は、まだ写真家の数が少ない頃に、世に優れた写真家を紹介する。という使命があって設けられたという経緯があるそうです。

それが、その頃にはすでに写真家が世に溢れていましたから、写真賞というのは、作品の作家性を認められた事に対して与えられる名誉的なものになっていたと思います。

クラシック音楽やバレエの世界、もそうですが、後世に名を残す、歴史的なアーティストでコンテスト出身の方は少ないです。ほとんどいないのではないかと思います。

コンテストというのは、ある意味、審査員制度という合議制のもので、審査員の平均的な評価を反映したありきたりの結果になること多いと思います。

そのようなアーティストは、往々にして自分の個性を強烈に人々のハートに刻みつけるアクの強さに欠けています。

歴史的な写真家を例にとると、影響力のある編集者やギャラリーオーナーが、「こいつは最高だ」という、自分の独断と偏見で世に出した。という例が多いです。画家になると、もっとその傾向が強いと思います。

ただ、受賞するということは、大きなモチベーションになるので、ひとつの励みにするという利用の仕方が一番でしょう。

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