インスタやブログでなんとなくフォローしているカウンセラーや人生相談の方が何名かいる。
たまに寄り道して見るが、最近あることに気がついた。
時間が経つにつれて、ある人は、顔が険しくなってきている。
また、ある人は、不気味なほど悟ったような教祖顔になっていく。
あらゆる人種、宗教、職業の人を撮ってきたので、
自分には、すぐにそれが分かる。
これはよくあること。
カウンセラーは人の話を聞いてあげるのが主な仕事だ。
客は大体悩み事があるし、元々邪気に満ちている方もいる。
カウンセラーや精神科医は、それら客の暗黒物質を、徐々に溜め込んでしまうのだ。
これは、整体師も同じで、友人の整体師は、
「邪気に満ちている人は、身体に触れたらすぐにそれが分かる。
そして、施術が終わると、その邪気の一部が自分に乗り移ってきて、その後寝込むことがある」。
と言っていた。
彼は非常に優秀な整体師で客が絶えない。
それは、彼が、患者の邪気を引き受けることによって、患者が楽になるから、
結果として患者は「整体で楽になった」と感じるのだと思う。
よく、人の悩みとか聞いてあげて、その人から「話して楽になった」
と言われた方は多いと思う。
そういうときは、聞いてあげた人は、話した人の邪気が乗り移っている。
自分は昔からそれがわかっていたので、最初に聞くフリをして途中から話は右から左へ受け流し。
最後に「大変だったね」などと言う。
人の話は聞いていない。何言ったのかも覚えていない。
人の悩みを聞くときはそれが一番だ。
自分が真剣に受け止めていても、そうでなくても、
相手は楽になっている。
それで良いと思う。
NYCにいるころ、1990年頃だが、
すでに、その頃、NYCの精神科医の多くは、自分のためのカウンセラーを持っている人が多かった。
それだけ、医者は患者の邪気を背負い込むし、
それは一人では解決できないものだと医者自身がよく分かっていたからだ。
多分、その医者たちの話を聞くカウンセラーにもカウンセラーがいる。
患者の邪気はそうやって伝染していく。
なんかいろいろと考えるうちに、罪深い世の中だな。といつも思う。
人間が直立歩行を始めてしばらくすると、
それまで、何も考えずに獲物を追っかけたり、木の実をとっていた人間は、
ある日、「自分とは一体なんだろう」と瞑想に近いことを始めたそうだ。
その記述というか絵文字のようなものが、壁画として世界同時期に記録されたらしい。
それらは、南アフリカ、オーストラリア、チベットで発見されている。
その自我の目覚めの瞑想を、ゾクチェンとチベット語では言う。
現在チベットのボン教で、そのゾクチェン瞑想法が、修行として取り入れられている。
旧約聖書より、はるか昔、
天地創造の前から、人間は罪を犯し始めたのかもしれない。